平安期から中世の土佐は遠流の国と呼ばれ、中央での政争に敗れた者、あるいは時の権力の意に沿わぬ者が流され幽閉される地でありました。峻険な山々と黒潮洗う太平洋によって遠く隔絶されたこの地は彼らの理想を封じ込め、政治生命を絶つにはうってつけと考えられたのでしょう。




土佐の人はそんな“まつろわぬ”都人を暖かく受け入れました。彼らの権力に媚びることのない情念や高い教養と、その気候風土により開放的で楽天的な土佐人の性質が相まって、やがて“いごっそう”と呼ばれる独特の土佐人気質がかたち作られていきました。





 

戦国の世にあり、四国を平定し天下をうかがった長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)。幕末をひたすらに駆け抜け明治維新を成し遂げた坂本龍馬をはじめとする志士たち。さらには薩長藩閥政府を真っ向から批判し真の国民国家建設のため奔走した板垣退助や植木枝盛ら自由民権の闘士たち。権威に屈することなく、辺境から中央に“否”を唱える“いごっそう”の系譜は、現代の日本においてもあらゆる場所で生きつづけています。