土佐のまんまる【足摺唐人駄場/高知のパワースポットを歩く】


足摺の巨石群については「黒潮と縄文巨石文明(リーブル出版刊)」に詳細の調査報告がある。

謎に包まれた巨石群に囲まれて1万年をタイムスリップ

四国の最西南端に位置する足摺岬は、深い森の岬で、平地らしい平地もほとんどなく、太平洋を望もうとすれば、海際の断崖の上に立つ他ありません。この岬で、唯一の例外と言える場所が、唐人駄場(とうじんだば)と呼ばれ、縄文時代の遺跡とされる場所です。初めにお断りしておきますが、このページは考古学でも、古代史ガイドでも、オカルト・ミステリーガイドでもありません。 不思議に心魅かれる「巨石群」の話です。

土佐清水市中心街から、足摺スカイラインに入って、ほぼ中間地点を案内表示に従って西に進路をとると、間もなく、唐人駄場です。そこには森がなく、草の平地があり、緩やかな斜面に巨石が配置されています。おそらく、何の説明もなくこの地を訪れても、ほとんどの人がその巨石群に心を奪われるはずです。いわゆるストーンサークルと呼ばれる縄文時代の遺跡は長野県以北、北海道にまで点在しています。石舞台のような古墳時代の遺跡は奈良県周辺で多く見られます。もちろん、巨石の遺跡は日本だけでありません。モアイ像などの例を挙げるまでもなく、世界中に見ることができます。ですから、それ自体が珍しいというものではありません。しかし、それら巨石の遺跡には謎が多く、謎が多いからこそ心魅かれるものがあります。

唐人駄場の巨石群は、祭祀場、天体観測施設、そして航海者のための目印(今日の灯台)など
様々な解釈がある。

謎に包まれた巨石群に囲まれて1万年をタイムスリップ

唐人駄場の巨石群は、縄文時代のものとされています。それらは、人工的に配置されたものではなく、自然のいたずらとする説もあります。それは、縄文時代に、巨石を動かした技術があったとすること自体が疑わしいとする人々の説です。足摺岬一帯では、驚くほど多くの巨石をいたるところで見ることができます。しかし、未だ真実は明らかにはされていません。
冷静に世界各地の巨石の遺跡をみると、そのほとんどが墓であったり、祭祀場とされていますが、近年注目されている説が、古代の宇宙観、自然観の視点で遺跡を解釈したものです。つまり、太陽の光が落とす影で季節を読む技術であったり、星の位置で歳月を読む技術です。これは、近年明らかになったことですが、縄文時代の貝塚を調べると、縄文人たちが旬の時期の魚介を採取していたということが分かってきました。また、舟を使って沿岸漁業を行なっていたことも分かってきました。つまり、暦の概念があり、操船、航海の技術があったということです。即ち、我々の想像以上に高い文明、科学があったのではないかと思われるのです。

ジョン万次郎の故郷も、唐人駄場遺跡の近くにある。

いわゆる縄文時代と呼ばれる時代は、紀元前1万年から紀元前1千年くらいの長い期間を指しています。しかし、その時代の定義は、石器以後、稲作以前という漠然とした定義で、まだ解明されていない謎の多い時代ということもできます。そして、謎が多いからこそ唐人駄場のような遺跡に心魅かれるのだと思います。

DATA
Vol.01
足摺唐人駄場 Ashizuri Tojindaba
場 高知県土佐清水市市松尾
 
 
市町村データ
土佐清水市(とさしみずし):黒潮の恵みを受け、海とともに生きる
土佐清水市 土佐清水市  
http://www.city.tosashimizu.kochi.jp/index.html
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Vol.02 土佐一宮神社