土佐のまんまる【空海の室戸/高知のパワースポットを歩く】


空海も眺めた室戸の景観は、2008年12月日本ジオパークに認定。
一帯で見ることができる地層や岩石に地球のダイナミックなプレートの動きを知ることができる。

空海は「三教指帰」に「阿国大滝岳にのぼりよぢ土州室戸崎に勤念す」と記しています。それは、延暦 12年(793年)のことです。19歳の青年空海は、室戸岬を訪れ、この地で念仏三昧の日々を送り「明星口ニ入リ虚空蔵光明照ラシ来テ菩薩ノ威ヲ顕ス」という不思議な体験をしています。金星の光が口の中に飛び込み、虚空蔵菩薩が一帯を明るく照らしながらやってきたというのは、まるでハリウッド映画のワンシーンのような光景ですが、空海の想像力の豊かさに驚かされます。


御厨人窟は、文字通り空海が生活した洞窟。
空海の自然観、豊かな想像力は、ここで
育まれたのかもしれない。

空海は、室戸修行の後、延暦 23年(804年)、入唐直前31歳で得度受戒するまでの間の行動が明らかにされていません。しかし、唐で2年間の修行を終えると、一気に表舞台に躍り出て数々の偉業を成し遂げます。伝説によれば、空海は唐で記憶力増進の修法「虚空蔵求聞持法」を会得、それによって真言宗の開祖の道を歩んだことになっていますが、十数年の空白の期間は謎のままです。

今日、室戸岬を訪ねると空海が修行したと伝えられる明神窟、御厨人窟(みくろど)など数多くの空海ゆかりの地を見ることができます。そして、空海が眺めたと思われる空と海ばかりの風景も、ほぼそのままです。室戸岬の先端は、樹木に覆われた崖がそのまま海へと続いているような地形で、さらに風雨、潮風が激しく人が暮らすのには不向きだったことが幸いし、往時の風景が守られています。往時と異なる点といえば、汀線が僅かに後退し、そこに道路が敷設され、車が走っていること。空海が、この地を訪れた当時は、現在道路となっている辺りまで波が打ち寄せていました。

空海が、ここで修行し、不思議な体験をしたのは決して偶然ではありません。空海は、私度僧として修行に出る前に、宇宙や自然と一体となれる場所を探しています。いわゆる修験者の道です。修験者の多くが、険しい山岳を選んでいるのに対し、空海は地の果ての海岸の室戸を選択しています。その理由は分かりませんが、空海の選択は正しかったようです。後に唐へ渡る機会を得られたことなどを考えると、室戸が空海の強運の始まりだったと言い換えてもいいかもしれません。今日、室戸岬一帯はジオパークとして注目されていますが、これは2、300〜500万年前に海底から押し上げられた地層などが海岸線に多く見られることによります。空海がそうした知識があったとは思えませんが、何か不思議で激しいエネルギーに感応したのではないかと想像することはできます。また、空海が修行したと伝えられる洞窟から、海を眺めてみると、人間の脆弱さを実感し、自然のエネルギーに対する畏敬の念が湧いてきます。それが、全ての始まりです。

最御崎寺は、四国八十八カ所霊場の第二十四番札所で、
高知県で最初の札寺(にしでら)と呼ぶのに対し
、東寺(ひがしでら)と所。 第二十六番札所の
金剛頂寺を西呼ばれる。

大同2年(807年)、唐から帰国した空海は、嵯峨天皇の勅命で室戸岬の樹海の中に最御崎寺を開きます。この寺には、多くの国の重要文化財がありますが、そのひとつに如意輪観音半跏像という石像があります。この石像は唐からの請来仏といわれ、その大切な仏像をここに納めた空海の心の内を想像すると、室戸に対する思いの深さを感じます。

DATA
Vol.03
空海の室戸 Kukai no Muroto
場 高知県室戸市室戸岬町
 
 
市町村データ
室戸市(むろとし):空海も魅了されたおおらかな海と
室戸市 室戸市  
http://www.city.muroto.kochi.jp
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