藩政時代、歴代の土佐藩主のほとんどが愛酒家であったといわれています。なかでも幕末の四賢侯として名高い山内容堂公は、自らを「鯨海酔候」と称し、愛する酒とともに激動の幕末期を駆け抜けました。土佐では淡麗辛口の地酒を豪快に飲み干すのが伝統として受け継がれています。自由ににぎやかに、煩わしいことは忘れて人生を楽しむのが土佐流の酒の飲み方です 。
約1000年も前の昔、この地には国庁が置かれ、土佐の政治経済の中心地として栄えていました。そこへ国司として赴任したのが紀貫之。我が国最初の日記文学として有名な「土佐日記」の作者です。貫之邸をはじめ、長曽我部元親の居城・岡豊城など多くの歴史遺産が残っています。豊饒な土地と温暖な気候から、農業が盛んで、古くから米の二期作が行われてきました。市南部には高知龍馬空港があり、高知の空の玄関口の機能も果たしています。
さて、江戸時代になると、酒造りは藩の重要な産業となり、現在のように透明な清酒が造られ始めます。中期になると有力な酒蔵では大阪から杜氏を招いて技術を学び、商品性の高い酒が造られるようになり「土佐酒」の美味しさが他国にも知れわたることとなりました。以来、県内の各地で「美味しい土佐酒」の伝統は脈々と受け継がれ、進化し、戦争といった苦難も乗り越えて現在へとつづいています。そしてこれからも深海へ宇宙へと、その可能性は無限に広がってとどまることを知りません。