Vol.6 移住一年、高知の生活実感はたっぷりあります。

佐野 晋司さん Sano Sinji
「いつ高知へ行くの?」と言う長男の一言から
移住の実感がうすいまま1年目の夏を迎えようとしています。本当は信州が好きで八ヶ岳山麓生活を準備していたところ、ひょんな事から高知県が移住候補地として浮上、2005年暮れ下見に訪れた冬の四万十川は観光ポスターのイメージからは程遠く興味は出ませんでした。しかし翌朝神奈川県へ戻る途中に寄った入野海岸は印象的で、1ヵ月後「いつ高知へ行くの?」と言う長男の一言からすべてが始まっていました。  
  信州移住を念頭にどこでも仕事が出来る体制にしていたので仕事の心配は有りませんでしたが、子供達の将来について都会に比べ選択肢が少ないという事に悩み、四国移住を決心してからは仕事に便利な愛媛県四国中央市、出張に便利な高知市周辺、そして自然豊かな四万十市への移住で悩んでいました。結局子供達の環境という一点に絞り、いよいよ家探しをする段になって移住情報の少なさに手こずりましたが、人に助けられ幡多郡黒潮町へ移住をする事が出来、移住後も人に恵まれ地元の人より地元に詳しくなる傾向です。
そういう気持ちの揺れも含んでの移住
心配していた子供達はどんどん高知になじみ、長男は神奈川県にいる時から志望していた県立幡多農業高校へ入学を果たし馬術部で朝から晩まで休日関係無しの馬まみれになっていますし、次男も神奈川県に比べ児童数の少ない学校でびっくりしていましたが、自然に恵まれた環境でのびのび育っています。2人とも時には神奈川県時代を思い出してしんみりしていますが、そういう気持ちの揺れも含んでの移住という事だと考えています。
さて移住1年、振り返り気になるのが立場によって温度差が有る「移住受入れ事業」(以下移住事業)で、県や各市町村の移住事業の方向はそれぞれ違っています。明治から戦後の国内外開拓移住の記憶は有る物の、いわゆる昨今の都会から地方への移住推進の歴史が浅く、まだ方法を探っている段階ですし、全国的な移住事業は歴史上ほぼ農業国だった日本が初めて経験する事ではないでしょうか。その為、移住事業が自治体の仕事として適正かどうかの判断が確立されて無いまま、今後新たな問題が予想されます。しかし移住事業は現代日本の側面である事は明白で、事業の達成は次世代に続く事だと感じています。移住する人の自己責任は前提ですが、移住事業に関わる方々にはどうか前向きな気持ちで取り組んで頂きたいと思っています。特に高知県の移住事業は全般に他の道県に遅れを取っていますが、特徴のある立地を存分に生かせば高知県らしい独特な成功を得ると思われますし、楽しみでもあります。
子育てが終われば今度はどこへ移住しようか?  
冒頭で「移住の実感がうすいまま」と書きましたが、私自身移住の意味を考える時間なんて当時は全く無く、ただ移住を成功させたいという気持ちばかりで、それは移住後も変わっていません。移住後の生活設計が無ければ失敗がスグにやってくるのが移住だと思っているので実感も無いのだと思いますが、高知へ来てからの生活の実感はたっぷり有ります。さて目標の高知県での子育てが終われば今度はどこへ移住しようか?
DATA
佐野 晋司さん Sano Sinji
略歴 愛媛県生まれ、曽祖父は高知県生まれ。東京、大阪、千葉、静岡、神奈川と転居を続けるうちに、長野県八ヶ岳の山麓生活を目論むが、ひょんな事から2006年夏に高知県黒潮町へ来てしまう。日本独自の「紙バンド」を手芸として広めるべく勤務していた製紙会社を飛び出し夢は世界へ。
市町村データ
黒潮町(くろしおちょう):土佐湾の豪快な自然と向き合う
四万十市 四万十町  
http://www.town.kuroshio.lg.jp/
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