竜串の海に育まれて

竜串ダイビングセンター代表
浜口 和也さん Hamaguchi Kazuya
1970年(昭和45年)、国内で初めて海中公園に指定され、1972年(昭和47年)には足摺宇和海国立公園の一角として毎年多くの観光客が訪れるようになった竜串の海。海中展望塔、水族館、サンゴ博物館、貝類展示場、そしてグラスボートと、相次いで海中公園に隣接する観光施設が出来上がり、駐車場には観光バスが何台も止まり、民宿や食堂なども一斉に軒を連ねたそうです。これらは僕が生まれる前の話で、自分が物心ついた頃にはそれらもピークを過ぎて、下火になりつつある状態でした。
竜串の観光と自分の生活が一体だった幼少時代。
  父がグラスボートを運営している事もあり、竜串の観光と自分の生活が一体だった幼少時代。グラスボートでは、サンゴが広がる海中公園内を案内し見残し海岸に到着すると、竜串海岸を凌ぐ奇勝な海岸美や、展望台から眺める竜串湾を堪能出来ます。まさに、竜串の海に育まれた自分がいました。もちろん、子どもの頃の遊びでも海に大きく係っていました。磯に行けばニナ(クボガイ)やセイ(カメノテ)を獲り、竹で作った竿でガシラ(カサゴ)を釣ったり、時には岩で手を切ったり膝を擦り剥いたりと、今では「危ないからやめなさい!」と叱られるような事も、たくさんありました。これらは年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちに遊びに付いて周り真似をしているうちに自然に覚えていったような気がします。
竜串の海と暮らせる事が何よりも幸せだと感じられるようになりました。

一度、学校へ行く為に県外へ出て行きましたが卒業すると本能的に竜串へ帰って来ていました。そして今も尚、竜串の海を糧に暮らしています。4年前、スキューバダイビングのインストラクター資格を取得し、竜串観光の新たなカテゴリーとしてダイビングを始め、スノーケリングやシーカヤックなどのマリンスポーツ活動を行っています。数年前までは、沖縄や海外の海に憧れてしまう事もありましたが竜串で色々な人々と係り語り合うたびに竜串の魅力が更に湧き出てくるようになり、言い知れぬ愛着が確立したように思います。 足摺岬や大月・大堂海岸の雄大な花崗岩に対して、優しい趣で常に変化している竜串・見残しの砂岩が創る奇勝。水中を彩るたくさんの魚の拠り所となっていて自らも美しさを放つサンゴ。竜串の海と暮らせる事が何よりも幸せだと感じられるようになりました。

しかし近年、世界中でサンゴが衰退していると報じられています。主に、人間活動による環境の変化が原因だと考えられています。竜串のサンゴも、水質悪化や洪水による泥土の堆積等、様々な原因で衰退してしまいましたが、我々地元の人間や、ボランティアの方々によるサンゴ移植や水中清掃で再びサンゴが元気を取り戻しつつあります。サンゴは、その海にとってバロメーターとなっていて、環境が悪化するとすぐ我々に警告を発してくれます。

海を自分達の世代だけでなく子どもの世代、そして孫の世代へと語り継いでいく
「サンゴが元気に暮らせる海=自分達が元気に暮らせる海」をキャッチフレーズに今後も保全活動を続け、ただ生活の糧になるだけでなく、たくさんの感動と生きる知恵を学ばせてくれる竜串の海を自分達の世代だけでなく子どもの世代、そして孫の世代へと語り継いでいく事がこれからの仕事だと思っています。
DATA
竜串ダイビングセンター代表
浜口 和也さん Hamaguchi Kazuya
略歴 1981年、高知県土佐清水市生まれ。とにかく海が好きで、釣り、磯遊び、素潜りなどで遊ぶ事が多かった。京都の大学へ4年通い、卒業後は地元竜串へ帰り、竜串ダイビングセンターのスタッフとして働き始め、2005年に代表に就任、現在に至る。
市町村データ
土佐清水市(とさしみずし):黒潮の恵みを受け、海とともに生きる
四万十市 四万十町  
http://www.city.tosashimizu.kochi.jp/index.html
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